「失礼します!」
慌ただしく保健室に駆け込む。ちょうど養護教諭の手が空いていたようで容体を見てもらった所、「気を失ってるだけだな。寝かせておけ」との事。
少し粗野な口調で、慣れていないと本当に大丈夫かと不安を抱いてしまう所だが、幸い私はこの人の見立ては信頼できると知っている。
抱えていた少女を空いているベッドの一つにそっと降ろし、近くにあった椅子をベッドサイドに寄せた。
「何だそこにいる気か?」
カーテン越しに先生から声を掛けられる。
私としてはやはり彼女が起きたらすぐに謝罪をしたい気持ちがあったので、差し支えなければ居させてほしいと答えた。
すると―――
「それはちょうどいい。私は少し外すから何かあったら呼べ」
と言って答えも聞かずに出て行った。
(えぇ・・・)
あまりの傍若無人ぶりにさすがに少し呆気にとられたが、行く先は何となくわかる。
私でも軽い傷の手当程度なら出来るだろうし、最悪呼びに行けばいいと思い諦めることにした。
「・・・・・・」
二人きりになり部屋が急に静かになったように感じる。
やることがない以上教科書でも読もうかと思ったものの、私は体育館からここに直行しているため当然何も持っていない。留守を預かっているし、何より今この子の傍を離れるのは不誠実だろうと思って諦める。
手持無沙汰な私はとりあえず少女の様子を窺う事にした。
(可愛い子だな・・・)
ネクタイの色から高等部の一年だとわかる。
クセのない黒髪は枕の上でサラッと広がり、薄いシーツをかけた胸元が静かに上下している。
近くで見てもやはり見覚えはない。私は人の顔を覚えるのは得意な方なので、練習を見に来てくれた子達の事は大抵覚えている。なので多分初めて来た子ではないだろうか
風が吹いて、開いた窓から夕方の涼しい空気が入り込む。
少し寒気を感じる。そういえば汗をかいてそのままだった。
(しかも練習着だからな・・・)
バレーは体育館で行うし、練習はハードだから当然体は熱くなる。だから練習着は真冬でもない限り非常に薄いものを使っている。
(いつ起きるかわからないし、汗だけでも拭いておきたいな)
意識すると急に汗まみれの身体が気持ち悪く感じてきた。練習中に汗をかいても何も感じないのに、平時汗にまみれると気持ち悪いというのだから不思議なものだ。
(保健室だし、タオルくらいあるか)
勝手に使ってよいものか少し悩んだが、倒れた生徒を置いて出ていくような人だ。タオルくらい使っても構うまい。
音を立てないように立ち上がり、棚から綺麗なタオルを取り出す。水道で軽く湿らせ、服を脱いで体を拭った。拭い終え、ついでだと思い勝手に白衣を借りてそれを纏う。
そして、そこである事に気付いた。
(あー・・・悪い事をしたかな)
よくよく考えると、私はこの汗まみれの身体でこの子を抱えてきてしまったのか。
少し悩んだが、一応と思ってシーツをどけて濡れてしまっていないか確認する。
わずかに湿り気を帯びている気がするが・・・
(・・・この場合、拭くのが正解なの?)
判断に迷う。他人の汗で服が湿っていたらかなり嫌だと思うし・・・
少し悩んだ末に、軽くタオルを押し当てる事にした。勝手に脱がせてしまうのは躊躇われるし、かといって気付いた以上は何もしないのも気が咎める。折衷案というやつだ。
(ちゃんとは拭き取れないけど、ゼロよりはいいわよね)
肌に張り付いている所を中心に少しずつ汗を吸い取っていく。
腕や肩、スカートは・・・いいかな。あとは背中。というか背中が一番濡れてしまったはず。
「・・・よっと」
軽く抱えるように体を浮かせ、背中にもタオルをあてていく。
そうしてササっと終わらせて再度その体を横たえようとしたところで、瞼を開いた彼女の、目と目が合った。
――――――
<―恵子side―>
何だか頭がクラクラしている気がする。
夜更かしした後の朝みたいな、重だるい感じだ。
「あっ」
ゆっくり瞼を開くと、目の前に誰かがいる。そしてその誰かが小さく声を漏らした。
「その・・・おはよう」
少し困惑気味の声。
何だか頭がぼーっとしていて、まだ状況が整理できない。
「えっと、大丈夫・・・かな」
大丈夫、とはどういう意味だろう。
大丈夫?と尋ねるからには私の事を心配しているのかもしれない。然るに私は今この人に心配されるような状況にあるということだ。
・・・心配される事とは一体?
こういう時はまず状況整理、記憶の確認をするべきだ。
(えっと、今日は確か―――)
珍しく華凛と一緒に登校して、一緒にお昼を食べて・・・
(放課後いつも通り華凛と別れて)
思考を重ねていくうちに意識が急速に覚醒していく。
そうして私は視界に映るものを正しく認識した。
「――――――・・・・・ひゅっ!?」
口から変な息が漏れる。
先程から私の目の前で心配そうに私の事を覗き込む女性。
「は、ははははは・・・!?」
「・・・?」
「遥先輩!!?」
そう、見城遥先輩だ。
(え、なにこれ!?夢!?それともドッキリっ!?)
想像だにしなかった状況に大パニックに陥る。
「え、はぅ、はる、は―――」
頭だけでなく口までテンパってる。
結んだはずのピントがまた乱れて視界がぼやける。
(ホントに何!?というか近い!いい匂いする!)
全身で混乱を表現する私に、遥先輩は優しく微笑んで頭を撫でてくれる。
当然逆効果でさらに混乱が進む。というか私、今抱かれてる!
「大丈夫?落ち着いて・・・」
こんな状況で落ち着けるような人が果たしているだろうか。
とはいえ遥先輩が落ち着いてと言うのだ。私は可及的速やかに落ち着きを取り戻さねばならない。
「ほら、深呼吸しよう」
「ひ、ひぁい・・・」
「はい吸って・・・・・吐いて・・・」
先輩の声に合わせて少しずつ呼吸を落ち着ける。
吸って・・・吐いて・・・
「吸って・・・もうちょっと吸って・・・」
もうちょっと吸って・・・
「もうあとちょっとだけ吸って・・・」
もうあとちょっとだけ―――
「げほっ!ごほっ・・・!」
むせた。
空気を取り込みすぎて胸が苦しい。
「せ、せんぱ・・・ごほっ」
「ふふ、ごめんなさい」
そう言って先輩は体を離した。
失われていく温もりに追いすがるようにして、私も体を起こす。
「・・・もう、大丈夫?」
「は、はい・・・大丈夫、だと思います」
「そう、なら良かった」
安心したように息を吐く先輩。
私も先ほどよりは心に余裕が出来ている。あくまで先ほどよりは、であるが。
「えっと、その・・・」
とはいえまずは状況を聞かねばと思い、恐る恐る先輩に声を掛ける。
すると先輩は椅子から立ち上がり―――
「・・・ごめんなさい」
私に向かって頭を下げた。